「4・3 70周年、非武装平和の島、何をすべきか」の様子
2018年1月27日、「4・3 70周年、非武装平和の島、何をすべきか」というテーマで、済州4・3平和公園において会合を持ちました。短い時間に準備したので、充分な宣伝がなされず、前日までに道路の事情が悪かったにも関わらず、記事を読んで駆けつけた方もおり、遠くチュジャ島から駆けつけた方もいました。駆けつけてくださった方々に、誠に感謝申し上げます。
なぜ4・3平和公園なのか?4・3の69周年に、済州の海で、虐殺を指揮していたアメリカの軍艦が再びガンジョンの海に浮かんだのを目にしました。原子力潜水艦がやってくるのを目にしました。4・3を記憶して指定した平和の島、しかし形だけの平和の島に指定(2005年1月27日)されて13年、その平和のの島を「非武装平和の島に」するためにこの70周年に私たちが集まった場所が、 4・3平和公園です。
「平和の島を、第一、済州島の非武装化、第二、平和と秩序のための中心地化、第三、葛藤と論争を調整して解決する地域センター化と平和研究・訓練の場、第四、平和の島を行動化するために能動的で地域的な努力を展開する済州道民、第五、平和の概念と一致する、均衡あって分権化した、自生的な発展のための場所と規定する」(1991年、済州で開催された国際学術会議)
プログラムとしては、2013年1月27日に初めて発足した「非武装平和の島済州をつくる人々」の今までの歩みについての発表があり、以降、グループ別討論がありました。ガンジョンを、第2空港を、非核地帯を、フェミニズムを、非武装を思いながら討論しました。
25人がこの会合に参加しました。